皆さん、こんにちは!ニコイチです。
突然ですが、皆さんが今まさに使っているスマートフォンやパソコン。その頭脳である「コンピュータ」の”ご先祖様”が、今から約80年前、とてつもない姿で誕生したことをご存知ですか?
その名はENIAC(エニアック)。
部屋一つを丸ごと埋め尽くすほどの巨大さ、街の電力を食いつくすほどのエネルギー、そして何より、それまでの計算機とは比べ物にならない圧倒的な計算スピード!

第二次世界大戦直後に発表されたこのENIACは、まさに世界を揺るがす大発明でした。この記事では、現代のデジタル社会、そして皆さんが学ぶAI技術の礎とも言えるENIACが、どのような情熱と困難の中で生まれ、世界をどう変えていったのか、その感動的な物語を紐解いていきます。G検定の学習でコンピュータの歴史に触れる皆さんにとっても、きっと知的好奇心をくすぐられるはずですよ!
戦争が生んだ”怪物”?ENIAC誕生の知られざる背景
ENIAC誕生のきっかけは、皮肉にも第二次世界大戦でした。当時、大砲の弾が目標に正確に当たるようにするためには、「射撃表」という、風向きや距離など様々な条件に応じた膨大な計算が必要でした。
しかし、その計算は非常に複雑で、大勢の計算手(多くは女性でした)が手作業や機械式計算機で行っていましたが、それでも時間がかかりすぎ、精度にも限界がありました。特に戦況が激化する中で、「もっと速く、もっと正確に計算できる機械が欲しい!」という軍の切実な要求が高まっていたのです。
そんな時代背景の中、「電子の力を使えば、計算速度を飛躍的に高められるはずだ!」という画期的なアイデアを思いついた人物がいました。物理学者のジョン・モークリーです。
夢を形にした人々:開発者たちの情熱と挑戦
モークリーの革新的なアイデアに共鳴し、その実現に不可欠な存在となったのが、若き天才エンジニア、J.プレスパー・エッカートです。物理学者のモークリーと、電子工学に長けたエッカート。この二人の出会いが、ENIACという巨大プロジェクトを動かす原動力となったのです。

もちろん、開発は二人だけで成し遂げられたわけではありません。プロジェクトへの資金調達に奔走した数学者のハーマン・ゴールドスタイン、プロジェクト全体を管理したジョン・グリスト・ブレイナード、そして多くのエンジニアたちが、それぞれの専門知識を結集させました。
そして、忘れてはならないのが、ENIACに命を吹き込んだ「ENIACシックス」と呼ばれる6人の女性プログラマーたちです。ジーン・ジェニングス、マーリン・ウェスコフ、ルース・リヒターマン、ベティ・スナイダー、フランシス・ビラス、ケイ・マクナルティ。彼女たちは、複雑な配線図を読み解き、膨大な数のスイッチやケーブルを手作業で繋ぎ変えるという、気の遠くなるような作業を担当しました。これがENIACの「プログラミング」だったのです。
当時はまだプログラミングという概念すら確立しておらず、彼女たちの仕事は補助的なものと見なされがちでした。しかし、実際にはENIACの性能を最大限に引き出すための、極めて高度で知的な作業だったのです。彼女たちの功績は、後年になってようやく正当に評価されるようになりました。まさに、コンピュータ史における「忘れられた英雄」と言えるでしょう。
開発チームは、未知の技術への挑戦、膨大な部品の管理、そして何より「本当に動くのか?」というプレッシャーの中で、昼夜を問わず開発に没頭しました。彼らの情熱と粘り強さがなければ、ENIACが完成することはなかったでしょう。
常識破りのテクノロジー:ENIACはどれだけ凄かった?
さて、そのENIAC、一体どれほど「常識破り」だったのでしょうか?
- 心臓部は真空管!: 使われた真空管の数は、なんと約1万8000本!当時の最先端技術でしたが、非常に壊れやすく、常に交換が必要でした。想像してみてください、毎日どこかの真空管が切れて、それを探し出して交換する作業…!開発チームの苦労が偲ばれます。

- とにかく巨大!: 重さは約30トン、設置には約167平方メートル、学校の教室よりも広いスペースが必要でした。まさに「部屋いっぱいの計算機」です。
- 大食い!: 消費電力は約150キロワット。これは当時の一般的な家庭の電力使用量とは比較にならないほど大きく、「ENIACを動かすとフィラデルフィア中の電灯が暗くなる」という噂(これは後に否定されましたが)が流れたほどです。
- 圧倒的な計算スピード!: これこそENIACの真骨頂。1秒間に約5000回の足し算ができました。これは、当時の人間や機械式計算機と比べて数百倍から数千倍の速さ! 人間が何年もかかるような複雑な計算を、数時間でこなすことができたのです。
ただし、現代のコンピュータのようにキーボードでプログラムを打ち込むわけではありません。ENIACに新しい計算をさせるためには、技術者が数日かけて、電話交換台のような「プラグボード」と呼ばれる配線盤のケーブルを繋ぎ変え、多数のスイッチを設定する必要がありました。これは非常に複雑で時間のかかる作業でした。
ENIACが切り開いた未来:現代への影響
ENIACは、当初の目的だった弾道計算だけでなく、完成後は様々な分野でその計算能力を発揮しました。
- 天気予報: 世界で初めてコンピュータによる24時間天気予報に挑戦!
- 原子力の研究: 水素爆弾の設計計算など、国家的な機密プロジェクトにも貢献。
- 科学技術計算: 宇宙線、風洞設計、乱数研究など、幅広い科学分野の発展を加速させる。
ENIACの成功は、「電子計算機は、様々な問題を解決できる強力なツールになる」ということを世界に証明しました。それは単に計算が速くなっただけでなく、人間の「思考を増幅する」最初の機械として、私たちの働き方や社会のあり方を変える、情報化時代の幕開けを告げる号砲となったのです。
ENIACで培われた技術や経験は、その後のコンピュータ開発に活かされ、プログラムをメモリに記憶させる方式(プログラム内蔵方式)のアイデアにも繋がっていきました。そして、モークリーとエッカートは後に世界初の商用コンピュータ「UNIVAC」を開発し、コンピュータが軍事や研究だけでなく、ビジネスの世界にも広がっていく道を切り開いたのです。
まとめ:ENIACから私たちが学ぶこと
ENIACの物語は、単なる古い機械の話ではありません。
そこには、困難な課題に立ち向かう人間の知恵と情熱があります。
そこには、未知の領域を切り開く技術革新のドラマがあります。
そこには、性別に関わらず貢献した多様な才能があります。
そして何より、現代の私たちが当たり前のように享受しているデジタル技術の、確かな原点があります。
G検定を通してAIやコンピュータ技術を学ぶ皆さんは、ぜひこのENIACの物語を心の片隅に留めておいてください。今日の高度なAI技術も、約80年前に部屋いっぱいの真空管から始まった、この「最初の大きな一歩」なくしてはあり得なかったのですから。
ENIACの開発者たちの挑戦と功績に、改めて敬意を表したいと思います。
この記事を読んで、皆さんは何を感じましたか?ENIACについて、あるいはコンピュータの歴史について、ぜひコメント欄で皆さんの感想や考えを聞かせてくださいね!
コメント