2025年4月27日、香港シャティン競馬場。多くの競馬ファンが固唾を飲んで見守ったG1レース「クイーンエリザベス2世カップ」で、日本が誇る三冠牝馬リバティアイランドに悲劇が襲いました。レース中の故障により競走中止、そして「予後不良」という、あまりにも残酷な診断。帰らぬ存在となってしまいました。
このニュースは瞬く間に広がり、日本中の競馬ファン、いや、彼女の走りや愛らしい姿を知る多くの人々が深い悲しみに包まれました。「信じられない」「涙が止まらない」「どうか安らかに…」SNSには追悼と悲嘆の声が溢れています。
「リバティアイランドって、どんな馬だったの?」 「なぜこれほどまでに、多くの人が悲しんでいるの?」
今回のニュースで初めて彼女の名前を知った方もいらっしゃるかもしれません。
リバティアイランドは、ただ強いだけではありませんでした。見る者の心を鷲掴みにする衝撃的な走り、歴史に名を刻んだ偉大な功績、そして多くのファンから「お嬢さん」と呼ばれ愛されたチャーミングな素顔。
この記事では、そんな稀代の名牝、リバティアイランドが駆け抜けた短くも濃密な蹄跡を辿り、彼女が私たちに残してくれた輝きと、早すぎる別れを悼みたいと思います。
衝撃の蹄音 – デビューから見せた異次元の才能
デビュー戦で見せた「上がり31秒4」の衝撃
2022年夏、新潟競馬場。後に歴史的名牝となる彼女の物語は、衝撃と共に幕を開けました。デビュー戦、直線で後方にいたリバティアイランドが、まるで瞬間移動したかのような末脚(すえあし:レース終盤の走りのこと)を繰り出します。
記録された上がり3ハロン(ゴールまでの最後の約600m)のタイムは「31秒4」。これは、芝のレースでは滅多に見られない、まさに異次元のタイムでした。競馬に詳しいファンほど、この数字が持つ意味の大きさに度肝を抜かれたはずです。「とんでもない馬が現れた…!」誰もがそう確信した瞬間でした。
阪神JF制覇 – 2歳女王へ
その非凡な才能は、すぐにG1タイトルという形で証明されます。同年の暮れに行われた2歳牝馬のチャンピオン決定戦「阪神ジュベナイルフィリーズ(G1)」を快勝。世代ナンバーワンの座を掴み取り、翌年のクラシック戦線(3歳馬にとって最も重要なレース群)の最有力候補として、大きな期待を背負うことになったのです。
三冠への軌跡 – 語り継がれる圧倒的な強さ
3歳になり、リバティアイランドはその才能を完全に開花させます。牝馬クラシック三冠(桜花賞、優駿牝馬、秋華賞)への挑戦が始まりました。
桜花賞 – 常識を覆す「異次元の追い込み」
第一関門、桜花賞(G1)。レースは激しい雨の中、不良馬場で行われました。最後の直線、リバティアイランドはまだ後方。多くの人が「届かないのでは?」と思ったその瞬間、彼女は馬群の外から一頭だけ違う次元の脚で突き抜けます。ゴール前では、ライバルたちをごぼう抜きにする圧巻のパフォーマンス。上がり3ハロンは、稍重(ややおも)の馬場にもかかわらず「32秒9」という驚異的なタイムでした。常識を覆す走りに、競馬場は騒然となりました。

優駿牝馬 (オークス) – 「笑っちゃう」ほどの歴史的圧勝
続く第二関門、優駿牝馬(オークス)(G1)。距離が伸び、スタミナも問われるこのレースで、リバティアイランドはさらにその強さを見せつけます。直線に入るとあっさりと抜け出し、あとは独走状態。2着につけた着差は、なんと6馬身。オークス史上でも稀に見る、まさに歴史的な圧勝劇でした。
レース後、主戦騎手の川田将雅(かわだ ゆうが)騎手が「直線は本当に、強すぎて笑っちゃいました」と語ったコメントは、彼女の絶対的な強さを物語る伝説として語り継がれています。

秋華賞 – 涙の三冠達成、史上7頭目の快挙
そして迎えた最終関門、秋華賞(G1)。メジロラモーヌ、スティルインラブ、アパパネ、ジェンティルドンナ、アーモンドアイ、デアリングタクト…錚々たる名牝たちが名を連ねる「牝馬三冠」。その偉業達成の期待が、小柄な彼女の肩にかかっていました。
レースは、ライバルたちの徹底マークに遭いながらも、直線で力強く抜け出し見事に勝利。史上7頭目となる、牝馬三冠の栄光を掴み取りました。ゴール後、川田騎手が見せた涙と渾身のガッツポーズ、そして関係者たちの喜びの表情は、多くのファンの胸を打ちました。
世界への挑戦、そして世代を超えた激闘
三冠牝馬となったリバティアイランドは、国内最高峰のレース、そして世界の強豪へと挑んでいきます。
ジャパンカップ – 最強馬イクイノックスとの死闘
2023年秋、ジャパンカップ(G1)。そこには、当時の「世界最強馬」イクイノックスがいました。3歳牝馬ながら果敢に挑んだリバティアイランドは、イクイノックスに次ぐ2着と健闘。世代を超えたトップホース同士のぶつかり合いは、多くのファンを熱狂させました。この敗戦すら、彼女の価値を高めるものでした。

海外遠征 – ドバイ、そして香港へ
古馬になり、彼女は世界の舞台へ挑戦します。ドバイシーマクラシック(G1)で3着、香港カップ(G1)で2着と、世界の強豪相手に互角以上の走りを見せ、日本の競馬ファンに夢を与えてくれました。次こそは、海外G1制覇を…誰もがそう願っていました。
愛された「お嬢さん」 – 強さだけではない魅力
リバティアイランドの魅力は、その圧倒的な強さだけではありませんでした。
パドックで見せる素顔
レース前のパドック(出走馬が周回する場所)では、可愛らしいメンコ(覆面)や、鬣(たてがみ)を三つ編みにした姿がトレードマーク。時折、厩務員さんに甘えるような仕草を見せることもあり、ファンからは親しみを込めて「お嬢さん」と呼ばれていました。レースでの厳しい表情とは違う、リラックスした愛らしい姿もまた、多くのファンを惹きつけた理由の一つです。
悲劇のクイーンエリザベス2世カップ – 自由の女神、香港に散る
そして、運命の日、2025年4月27日。
最後のレース
香港クイーンエリザベス2世カップ(G1)。前年の覇者として連覇を狙う日本のタスティエーラなど、強豪が集う一戦。リバティアイランドは後方からレースを進め、最後の直線、いつものように末脚を爆発させる…はずでした。
しかし、直線入り口で異変が発生。彼女の動きが明らかに鈍り、みるみるうちに失速。ゴールまであと僅かのところで、川田騎手は異変を察知し、馬を安全に止めるために下馬。競走を中止しました。

予後不良、そして安楽死の報
レース後、馬運車で運ばれたリバティアイランド。懸命な診断と治療が試みられましたが、下された診断は「左前脚種子骨靱帯の内側と外側の断裂、および球節部の亜脱臼」。これは、競走馬にとって極めて深刻な、回復の見込みが立たない故障でした。「予後不良」――。
苦渋の決断の末、彼女をこれ以上苦しませないために、安楽死の処置が取られました。
管理する中内田充正調教師は「無事に帰国させられずに、申し訳ございません」と、無念のコメント。下馬した後、心配そうにリバティアイランドの顔に自分の顔を寄せていた川田騎手の姿は、この悲劇を象徴するシーンとして、多くの人の目に焼き付いています。
ファンからは「嘘だと言ってほしい」「言葉にならない」「たくさんの感動をありがとう」…悲しみと感謝の声が、今も鳴りやみません。
永遠に語り継がれる輝き
リバティアイランド。その馬名が意味する「自由の女神像が建つ島」のように、彼女は圧倒的な強さと輝きで、私たちファンに夢と希望を与えてくれる存在でした。
衝撃のデビュー、常識を覆した桜花賞、歴史に残るオークス、そして涙の三冠達成。古馬になってからの世界への挑戦、そして多くのファンに愛された「お嬢さん」としての素顔。
彼女がターフを駆け抜けた時間は、決して長くはありませんでした。しかし、その蹄跡はあまりにも鮮烈で、私たちの記憶に、そして競馬史に永遠に刻まれることでしょう。
今はただ、彼女が安らかに眠れることを祈るばかりです。
たくさんの感動をありがとう、リバティアイランド。あなたの走りを、あなたの輝きを、私たちは決して忘れません。
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